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2024/12/31

2024年の活動

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※既刊書籍は下記からお求めください。
・第1歌集『翅ある人の音楽』(典々堂・2023年6月)…典々堂BASEショップ、もしくはお近くの書店にて
・評論集『日々の鎖、時々の声』(私家版・2021年5月)…BOOTH


【2月】
・「」(書評)

【1月】
・「うた新聞」1月号
 「今月のうたびと」欄に「バタースコッチ」12首を書きました。
・「現代短歌新聞」1月号(紙版電子版
 「辰年の歌人」作品特集に「相槌」5首を書きました。
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2023/12/31

2023年の活動

※この記事が常にページ上部へ来るように設定しています。
※歌集『翅ある人の音楽』(典々堂・2023年6月)は在庫あり。典々堂BASEショップまたはお近くの書店にて。
※評論集『日々の鎖、時々の声』(私家版・2021年5月)は在庫あり。BOOTHにて通販受け付けております。

【12月】
・「翅ある人の自由帳 歌人・濱松哲朗ができるまで」(展示・選書)
 本屋BREAD & ROSESさん(千葉県松戸市常盤平)にて、『翅ある人の音楽』の刊行記念フェアを開催していただきます。12月1日(金)から12月30日(土)まで。
 証言「2010年代、短歌になにが起こったか」に「青い鳥はもういない」を書きました。

【11月】
 作品「散逸のための七葉」(長歌1首を含む33首+散文3篇)を書きました。(11月11日、文学フリマ東京37にて頒布)
 短歌時評「言葉の往還、意志の在り処」を書きました。

【10月】
・「合歓」第102号
 招待作品「くす玉」20首を書きました。
 短歌時評「行動への希望」を書きました。

【9月】
 短歌時評「呼応の現場へ」を書きました。
 吉田隼人『霊体の蝶』(草思社)の書評「矛盾の美学」を書きました。

【7月】
 「パンゲアの法」7首を書きました。

【6月】
 2014年から2021年にかけての420首を収録した第一歌集です。

【5月】
 「間奏」6首を書きました。(5月21日・文学フリマ東京36にて頒布)

【4月】
 特集「短歌の場におけるハラスメントを考える」に、自由記述エッセイ「知ってほしい/知らないでほしい」を書きました。

【3月】
 特集「ボクらの茂吉」のアンケート企画「シェアしたい、茂吉のこの歌集」に回答しました。

【2月】
・「みかづきもノート」vol.3(みかづきも読書会)
 本文レイアウトと組版を担当しました。
2023/06/24

歌集『翅ある人の音楽』を刊行しました

6月24日に、第一歌集『翅ある人の音楽』を刊行しました。
2014年の晩秋から2021年の終わりまで、26歳から33歳までの歌から420首を選び、季節の流れに沿って再構成しました。

『翅ある人の音楽』
四六判上製・196頁 塔21世紀叢書第419篇
著者:濱松哲朗
発行:典々堂
栞文:真中朋久、染野太朗、高瀬隼子
装幀:花山周子

お求めは、典々堂公式オンラインショップ(BASE)での直接注文が便利です。
お近くの書店やWEB書店でもご注文可能です(地方・小出版流通センター経由で各取次に配本されます)。

*下記の記事で取り上げていただきました。ありがとうございます。
・大松達知さん…共同通信「短歌はいま」7月分(随時)
・柏木節子さん…角川「短歌」10月号・書評
・川本千栄さん…note(8月14日付)
・高木佳子さん…「塔」10月号・書評「翅ある人の羽搏くとき」
・田村元さん…神奈川新聞「かながわの歌壇時評」7月分(7月20日付)
・千葉優作さん…「塔」10月号・書評「憤りの表明、そして身体との和解」
・藤島眞喜子さん…「合歓」第102号(2023年10月)「歌集を読む」
・松澤もるさん…note(7月14日付)

2022/12/31

2022年の活動

【12月】
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第12回(最終回)「これからの私たちが語るために」を書きました。


【11月】
・「京都ジャンクション」第16作品集
 「時の崖(きりぎし)」200首、評論「高瀬遊と高瀬隼子のあいだ」を書きました。(→通販
・H2O企画「Tri」
 Tri別冊「きりとりせん」に小文「岡井隆論を書けなかった話」を書きました。(「日本の古本屋」古書いろどりから新本購入可能です)
 エッセイ「ほんとうのこと」を書きました。
・「うた新聞」11月号
 藤原龍一郎『寺山修司の一首』(ふらんす堂)の書評「孤高の試行に迫る」を書きました。
 栞文「境界を見据えて佇つ」を書きました。
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第11回「共感と大衆性」を書きました。

【10月】
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第10回「個人と社会のあいだ」を書きました。

【9月】
・「うた新聞」9月号
 特集「私にとっての〈郷土〉」に「橋上化」3首と短いエッセイを書きました。
 特集「ウクライナに寄せる あるいは、戦争と言葉」に「道」12首と短いコメントを書きました。
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第9回「奪うな」を書きました。

【8月】
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第8回「当事者性とインターセクショナリティ」を書きました。

【7月】
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第7回「手前でなんとなく引っかかる」を書きました。

【6月】
・「歌壇」6月号
 特集Ⅰ「異なる世代に読んでほしい同世代の歌集」に「オワコン化から逃れるためのささやかな助走」を書きました。昭和60年生まれ以降の歌集を取り上げています。
・「うた新聞」6月号
 竹中優子『輪をつくる』(角川書店)の書評「見ないふりをしない言葉」を書きました。
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第6回「四拍子に関するいくつかのメモ」を書きました。

【5月】
・「歌壇」5月号
 田中綾『書棚から歌を 2015-2020』(北海学園大学出版会)の書評「芯ある好奇心」を書きました。
・「短歌」5月号
 三枝昂之『跫音を聴く 近代短歌の水脈』(六花書林)の書評を書きました。
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第5回「持続可能な人生」を書きました。
・H2O企画「Tri」
 第34回文学フリマ東京(5月29日)で頒布のフリーペーパー「とりかみ」に、「塔」3月号の『真中朋久歌集』評を再録しました。

【4月】
・「みかづきもノート」vol.2(みかづきも読書会)
 本文レイアウトと組版を担当しました。(うたとポルスカ(下北沢)にて委託販売あり。BOOTH通販はこちら
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第4回「これからの「欲望」の話をしよう」を書きました。

【3月】
 特集「永田和宏の現在」で、第9歌集『百万遍界隈』の歌集改題を担当しました。
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第3回「わたしたちにゆるされた孤独」を書きました。
・「塔」3月号
 現代短歌文庫『真中朋久歌集』(砂子屋書房)の書評「韻きの体感、歌の射程」を書きました。

【2月】
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第2回「出会いの熱量」を書きました。

【1月】
・砂子屋書房ホームページ「月のコラム」
 「安心自由帳」第1回「市場在庫とアクセシビリティ」を書きました。
 「反古空間」8首を書きました。
2022/01/20

【転載】「〈富める人とラザロ〉の五つの異版――Ralph Vaughan Williamsに倣つて」50首(「穀物」第3号)

2016年11月発行の「穀物」第3号に掲載した「〈富める人とラザロ〉の五つの異版――Ralph Vaughan Williamsに倣つて」50首を、掲載号の完売に合わせて公開します。



〈富める人とラザロ〉の五つの異版――Ralph Vaughan Williamsに倣つて



   [Theme]

 或る富める人あり、紫色の衣と細布とを著て、日々奢り楽めり。又ラザロといふ貧しき者あり、腫物にて腫れただれ、富める人の門に置かれ、その食卓より落つる物にて飽かんと思ふ。而して犬ども来りて其の腫物を舐れり。遂にこの貧しきもの死に、御使たちに携へられてアブラハムの懐裏に入れり。富める人もまた死にて葬られしが、黄泉にて苦悩の中より目を挙げて遥にアブラハムと其の懐裏にをるラザロとを見る。乃ち呼びて言ふ「父アブラハムよ、我を憫みて、ラザロを遣し、その指のさきを水に浸して我が舌を冷させ給へ、我はこの焔のなかに悶ゆるなり」アブラハム言ふ「子よ、憶へ、なんぢは生ける間、なんぢの善き物を受け、ラザロは悪しき物を受けたり。今ここにて彼は慰められ、汝は悶ゆるなり。然のみならず此処より汝らに渡り往かんとすとも得ず、其処より我らに来り得ぬために、我らと汝らとの間に大なる淵定めおかれたり」富める人また言ふ「さらば父よ、願くは我が父の家にラザロを遣したまへ。我に五人の兄弟あり、この苦痛のところに来らぬやう、彼らに証せしめ給へ」アブラハム言ふ「彼等にはモーセと預言者とあり、之に聴くべし」富める人いふ「いな父アブラハムよ、もし死人の中より彼らに往く者あらば、悔改めん」アブラハム言ふ「もしモーセと預言者とに聴かずば、たとひ死人の中より甦へる者ありとも、其の勧を納れざるべし」
(ルカ伝:16.19-31)



   [Variant 1]

開かるる門のかたちに漏れ出づる饗宴の灯をしばし見留む

強欲は泡のごとくに膨らむを知らしめてなほ時は老いざる

われを捨てし母の血われに流るるを疎まれながら育てられけり

からみつく蔦のごとくにわが生を此処に這はせり 此処しか無くて

欲しかつたものは普通 鬱蒼と芽吹く年ほど朽ち易からむ

しぶとくも生くる命よ 貧しきは血の穢れとふ声、零されぬ

ちがふ、何かが違ふと常に思ひつつ面伏せて門をくぐり抜けたり

心身を病みてうしなふ職あればわれに値引きのパンやさしけれ

次々に諦め慣れてゆく頃の落葉、生まれさせられし者

身の程を知れと言はれつ 門前に屈み込みつつわれの崩えなむ


   [Variant 2]

早朝のスマートフォンをふるはせてわれにも届く声なき報せ

ともだちの死をともだちが告げてゐる連絡網のごときLINEは

新聞のおくやみ欄の画像あり二十七とふ享年目立つ

ああきつと空が笑つてゐたのだらう八月に死をえらびし君よ

閉ざされし門の手前に風絶えて(何故だ?)こんなに晩夏が似合ふ

みづからに疲れてをれば其処にありし他者(ひと)の苦悩に気づかざりけり

炎天は他界につづく 返信の言葉探してわれも彷徨(さまよ)

滲みくる汗をぬぐへばわれになほ宿痾のごとく生よこたはる

生き残る者はラザロにあらざれば蝉の骸を避けて歩めり

心音の耳に充つれば凡庸にいまだ死なざる身体重たし


   [Variant 3]

落涙の前ぶれとして微笑めばわれにこの世のひかり眩しも

夢を持つためにも金の要ることを水のにほひに切花の朽つ

夏にふる雪にあらずも 初めから見え透いてゐし終の姿は

死ののちを清らに残る感情のわれに暗渠のごとくありなむ

ウェブ上にふりしきる雪 更新の滞りたるページかがよふ

面倒な人と思はれてゐるらしい 遮光カーテンぴつちりと閉づ

知らぬ間に人を殺したことのある顔だな、言葉を持つたばかりに

せめて鏡を伏せてから死ぬ まなじりに前世のなごり浮きいづる頃

繰り返さるる生の途上に焼かれゆくわが身よ 無理をさせてすまない

信じてゐた。(――それが私の心からの抵抗であると、)伝へてください


   [Variant 4]

快晴の朝の葬送耐へ切れずはじけてしまふ実柘榴の刻

〈偲ぶ会〉と称して集ふ旧友の写真届きぬわがLINEにも

音楽家(ミュージシャン)でもないくせにこの歳で――、つて、成りたかつたのかもしれないが

それぞれに語らぬ過去のあるならむ沈黙よりもおもき笑顔に

卒業ののちに会はざる友らゐて(良かつた、)遺影を囲んではゐない

われの他に幾人かゐる不参加を引き算のごとく数へあげたり

懐かしい、と思はず打てる返信に永遠(とは)に揃はぬ〈既読〉ありなむ

アイツの分も生きてやらうと云ふ声の不意に聴こえたやうな気がして

富める人ならざるわれらお互ひの腫物(しゆもつ)を目守(まも)りつつ触れざりき

陽炎の彼方に見ゆる門あれば守衛のごとく蝉の啼き立つ


   [Variant 5]

閉ざされし門に凭れて夜明けとふ乏(とも)しき時をわれは恃めり

亡失は生者の奢り 過去といふ過去を野焼にくべつつ往かむ

運命と呼べば貧しき現実をわれは死ぬまで生き続けたし

紅葉の季に到りてわが裡に君のいたみの色付きはじむ

この門もぢきに崩れの日を迎へ境界線の分からなくなる

弔鐘の余韻しづかに滴れば現世(うつしよ)の秋深まるばかり

勿論これは君ばかりではないのだが水面にうつり込む曼珠沙華

生き残るなら引き受けるより他なくて声なき声を身に響かしむ

生まれさせられてやがては殺さるる生ならむ それでも生きてみようか

みづうみに枯葦の葉の遊ぶ頃今年の雪のふりやまざらむ

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2021/12/31

2021年の活動

※この記事が常にページ上部へ来るように設定しています。

【11月】
・「京都ジャンクション」第15作品集
 「土のみづから」30首を書きました。(→通販
・「Tri 短歌史プロジェクト」第9号(特集「ザ・座談会」)
 評論「今日を昨日にする前に――〈女歌〉座談会とその周辺」を書きました。(「日本の古本屋」経由で新品委託通販あり)

【9月】
・「塔」9月号
 800号記念特集の座談会「そもそも歌集ってどう読んでる?」に参加しています。

【8月】
「ねむらない樹」vol.7(書肆侃侃房)
 永井祐著『広い世界と2や8や7』(左右社)の書評を書きました。
・「うた新聞」8月号(いりの舎)
 「ライムライト」欄に「原稿データ考」を書きました。

【7月】
・「みかづきもノート」vol.1(みかづきも読書会)
 2つの読書会に参加、また、本文デザインと組版を担当しました。(→通販、うたとポルスカ(東京・下北沢)にて取扱あり)

【5月】
・評論集『日々の鎖、時々の声』を私家版で刊行しました。(→通販、うたとポルスカ(東京・下北沢)、葉ね文庫(大阪・中崎町)にて取扱あり)
・「京都ジャンクション ポストカードセット」
 「銀のエンゼル」7首を書きました。
・「Tri 短歌史プロジェクト」第8号
 評論「鳴らないシンバルの向こうに――小野茂樹とマリピエロ」を書きました。(「日本の古本屋」経由で新品委託通販あり)
・「Sister On a Water」第4号
 笠木拓著『はるかカーテンコールまで』(港の人)の一首鑑賞を書きました。

【3月】
 福島泰樹著『「恋と革命」の死 岸上大作』(皓星社)の書評を書きました。

【1月】
・「塔」1月号
 特集「実は読んでいなかった…」に「通俗性を引き受ける(前田夕暮『収穫』)」を書きました。
2021/07/04

坂田博義を探して(6)

以前にも書いたが、『坂田博義歌集』やその元となった「坂田博義作品集」(「塔」1962年2・3月号)掲載の歌は、高安国世が選をしたものであり、いくつかの歌は結社誌(「塔」「ポトナム」「辛夷」)での初出のみとなっている。
今回は、三誌の中で唯一、当時の号が国会図書館でデジタル化されている「ポトナム」をあたり、「作品集」や『歌集』に未収録の歌を抜き出してみようと思う。

ちなみに、坂田博義の「ポトナム」出詠は1957年11月号から1958年12月号までの、約1年という短い期間に留まっている(そして、その短い期間に作品Ⅲから作品Ⅱへ昇欄している)。さらに、当時の「ポトナム」は現在と異なり旧仮名遣いが出詠時の原則であったため、見慣れた坂田の歌もいくつかが旧仮名遣いで印刷されていたりして面白かった。
なお、今回は未収録作品のみを抽出し、他誌掲載のバージョン(同時期に出詠していることが多いので「改作」と一概に言えない)がある場合は対象から外した。ただし、掲載誌の雰囲気を伝えるために、その号に掲載された歌の総数は別途示すことにする。

   ◆

・1957年11月号(掲載数:2首)
母は一人吾のゐぬ部屋に入り来て本の背文字を寂しみてゐむ

以前評論で、坂田には家族の歌が少ないということを書いたが、こんなところにあった。送稿から選歌、印刷までのスパンを考えると、夏休みに故郷・上士幌に帰省した際の歌だろうか。

・1957年12月号(掲載数:7首)
海のひびき聞きゐる我をおそらくは初め海猫なりと見たらむ

・1958年1月号(掲載数:6首)
遠まきに吾を包囲して征矢に似し手紙送りく勝ちし驕に

「征矢」は「そや」と読み、戦で使う矢のことを指す。

・1958年2月号(掲載なし)
ちなみにこの号の巻末の新入会員欄に坂田の名が記載されている。紹介者欄には「和田」、つまり和田周三とある。

・1958年3月号(掲載数:8首)
ひびき重く牽引車通りて荒れにける道を平坦と思ひ歩みき
暖冬の朝鋭き声の囀りに目醒めつつ淡あはと足らひてゐたり
うす青む凍雪の野にさざれ水氷の下に声ひそめたり
トロイカの幻めきて馳けさりし丘よ流刑の地にあらざれど

この号だけ「北海道 坂田博義」とある(これ以外は「京都」)。まさに上士幌で投函したものなのだろう。そのせいか、冬の十勝の情景に取材した歌が目立つ。

・1958年4月号(掲載数:6首)
掃除婦のたつる埃が道に見え樹皮黒々し寒しと思ふ

・1958年5月号(掲載数:6首)
北へむけ流るる潮の耀ひをみせず車窓を雨の横打つ
芽ぶきたる林の梢透りきて光涼しければ地をあたためず
山の下に住みゐて山をみることを凝ふとせぬ倖と思ふ

「作品集」での註は無いが、「北へ走る暁の汽車の信号燈しずくの如く残しゆきたり」(1957年3月、初出はおそらく「辛夷」)があるので、「北へむけ」はその改作か、あるいは類想かと思われる。

・1958年6月号(掲載数:6首)
昏き海見えきて車窓に夜は放れ廃舟多くあれし風景
蝕おこしゐる太陽を仰ぎつつ昨日交はせし語のおぼつかな

・1958年7月号(掲載数:5首)
無花果の雨滴たたふる葉を見ればアダムが妻の羞恥むねうつ

この号まで「作品Ⅲ」欄掲載。

・1958年8月号(掲載数:3首)
指ほどに見えゐる二人あひよりぬかしこの光る瀬を渉るらし

この号から「作品Ⅱ」欄掲載。昇欄基準などはよく分からないが、坂田より前から「作品Ⅲ」にいた人はそのままだったりするので、ある意味本当に実力主義的というか、選者の目にも留まっていたということなのかもしれない。

・1958年9月号(掲載数:8首)

・1958年10月号(掲載なし)

・1958年11月号(掲載数:8首)
中東の王室一つ倒れしも当然の帰趨なり街かき昏し
渇癒ゆるまでむさぼりて水をのむ恋知りたりと言へども少女
「勤評」の闘争足並そろはずと読みたればたゆく歩を運びたる

「中東の王室」は時期的に、1958年7月14日の革命で倒されたイラク王国のことだろう。「勤評」は「勤務評定」の略。いわゆる勤務評定闘争はまさにこの時代のことで、教員の家に生まれ教職課程を受講していた坂田にとっては身近な政治問題であった。

・1958年12月号(掲載数:6首)

   ◆

抜き出してみて、高安国世が選で落とすのも無理はないと感じる歌もある一方で、実景の中への主観の置き方にねじれが生じた歌などがあって面白かった。
当時の「ポトナム」といえば、1956年11月に小泉苳三が急逝し、それを受けて翌1957年3月には森岡貞香が退会している(森岡の第二歌集『未知』の批評特集は1957年1月号掲載。新体制発足時のほんの一瞬だけ編集委員として役割が与えられていた形跡が誌面から確認できる)。ちなみに、坂田と同じ頃に「ポトナム」へ入会した歌人に、藤井治や荻本清子がいる。

もし坂田が「ポトナム」に留まっていたら、ということを考えるが、彼の交友関係を考えるとそれは考えにくいifだ。学内での短歌会の活動が下火となり、インカレサークルである京都学生短歌会へ活動の場が移るにつれ、高安国世や黒住嘉輝といった「塔」のメンバーとの付き合いが自然と増えていただろう。国文学の学者肌のイメージが強い「ポトナム」よりも、創刊したばかりの「塔」の方が、若い坂田には自分にとっての自由な居場所に感じられたのではないか。

それに、坂田はけして多作であったわけではない。複数の結社誌に一部のみが異なる歌を送る坂田のやり方はあまり褒められたものではないし、それぞれが完全には一致しないあたりが、単に複数の選者の意見を請うためのものというよりも、二重投稿ではないというアリバイ作りのためであるように見えなくもない。
もしかすると、当時すでに坂田のこうした姿勢を咎める人物がいて、それゆえ「ポトナム」への送稿を辞めることになったのかもしれない。だが、文章や書簡などを読む限り、坂田が他人の意見をすんなり聞き入れるとは失礼ながらあまり思えない。真相は謎のままだ。
2021/05/16

評論集『日々の鎖、時々の声』を刊行しました

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評論集『日々の鎖、時々の声』を刊行しました。
2012年から2019年にかけて発表した、短歌にまつわる評論・時評・エッセイなどを収録しています

現在、私のBOOTH経由の通販にて取り扱いしております。(→こちら
また、以下の店舗でも購入可能です。
・うたとポルスカ(東京 下北沢)
・葉ね文庫(大阪 中崎町)
その他、文学フリマ等のイベントに出店時も取り扱う予定です。その際はTwitterで告知します。

A5判/並製/222ページ(本文2段組)
2021年5月16日発行
塔21世紀叢書第376篇

【目次】

  Ⅰ 彷徨
希薄化する〈私〉と不確定な〈私〉
「あの日」から〈私〉はいかに変容したのか―震災・原発詠から読み解く〈私〉の諸相
短歌における〈私〉、責任、倫理の問題―「短歌研究」2012年11月号という、放送事故
「短歌」と「同人」を振り返る
河野裕子のふたつの「孤独」
馬場あき子の六〇年代―作品の〈私〉を中心に
抽象性と自意識―小野茂樹の「整流器」と〈私〉に関する試論
いたみつづけること―清原日出夫小論
青春を弔うために―清原日出夫と岸上大作
坂田博義ノート
小泉苳三と立命館の「戦後」

  Ⅱ 邂逅
灰色の抒情歌―長島蛎『寡黙な鳥』
山田航歌集『さよならバグ・チルドレン』
リスペクト・ブックス―松村正直『駅へ』
関係性の苦み
ありふれた覚悟を決めるために―川本千栄『樹雨降る』
詩型が持つ錨について―川野里子『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』
言葉を信頼して「読む」こと―北村薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』
感情が突沸する時―染野太朗『人魚』
溜め息交じりの強かさ―遠藤由季『鳥語の文法』
難波一義『ホレーシォの孤独 小野茂樹論』
新しい円熟―大辻隆弘『景徳鎮』
思考の軌跡としての一冊―谷岡亜紀『言葉の位相 詩歌と言葉の謎をめぐって』
「コーポみさき」の生活と意見
アンダーコントロールの欲望
「本郷短歌」第二号評
「京大短歌」二十四号評―新たな技術者への期待
せめぎ合う記憶―小野茂樹一首評
超高速で静止―吉岡太朗一首評
私の初めて出会った歌
かたすみぴあの―『現代の歌人140』風に
島と船
支線沿線
(1)浮かび上がる色のイメージ
(2)記憶を生きるために
(3)精神的種族保存拡大について
(4)あたらしい読者を求めて
(5)記号化する言葉から逃れるために
(6)弾丸は誰に向けて撃つのか
遅れてきた青春
越えられない壁

  Ⅲ 呼応
「現代短歌」歌壇時評
(1)人間、この問われるもの
(2)私の中にいる他者について
(3)振れ幅と混沌
(4)よそ者で馬鹿者で若者であるために
(5)「声」の持ち主
(6)風通しの良い「場」を目指して
閉じた世界の暴力について
「塔」短歌時評・一巡目
(1)「内と外」を超えるために
(2)「普通」の暴力
(3)解放の出発点
(4)無抵抗の不用意さ
(5)信頼の度合
(6)姿勢と信念とご都合主義
(7)プラットフォームはどこですか
(8)歴史と鍵
(9)いま、歌人論にもとめること
(10)自己認識と共通認識
(11)丹念に丁寧に適切に
(12)ノスタルジーと時代性
当然の出発点―うたの「読み」に関する時評的考察
「詩客」短歌時評
(1)「負けたさ」と「負けるな」
(2)欲望を超えるために
(3)氷山の一角、だからこそ。
「塔」短歌時評・二巡目
(13)カスタマイズされる「作者」
(14)記録と記憶のはざまで
(15)柄のない刃物
(16)拡散後の蓄積
(17)放っておけば良いものを
(18)適切な距離の取り方
(19)評論についての時評
(20)たとえ都合が悪くても
(21)ある種の「正しさ」について
(22)AIから遠く離れて
(23)手の上の「客観」
(24)短歌の「現代」を問い続けるために

あとがき


以下で取り上げていただきました。ありがとうございます。
・恒成美代子さん…ブログ「暦日夕焼け通信」2021年5月20日付
・田中拓也さん…「うた新聞」2021年7月号(「上半期の七冊」)
・魚村晋太郎さん…「短歌」2021年10月号
・永山凌平さん…「塔」2021年10月号(「問い続けること」)
・久我田鶴子さん…「地中海」2021年11月号
・真中朋久さん…「京都新聞」2021年11月2日付(「詩歌の本棚」)
・米川千嘉子さん…「歌壇」2021年12月号(年間時評「一人じっくりと読んで思うこと」)
・松村正直さん…ブログ「やさしい鮫日記」2021年11月15日付
・寺島博子さん…「うた新聞」2021年12月号(「表現と在り方」)
・岸原さやさん…「歌壇」2022年1月号(「よそ者で馬鹿者で若者であるために」)
・中武萌さん…「かりん」2022年4月号(「怒りと誠実さ」)
2021/02/03

口語・文語・新仮名・旧仮名

もう10年近く、旧仮名(歴史的仮名遣い)で歌を作っている。短歌を作り始めた当初は新仮名(現代仮名遣い)でやっていたのを、ある時点でパタッと切り替えた。
旧仮名にしてからの方が、なんとなく定型の肌触りが良くなったように感じているが、あくまで個人の感覚である。好みとか、合う合わないとか、話し出すと結局はその辺に行き着くのが、仮名遣いや文語・口語の話であるように思う。

言葉の好みというか、文字の造形の好みによるのかもしれない。
例えば、漢字だと「居り」となる動詞について。「をり」と旧仮名で書かれている時よりも、「おり」と新仮名で書かれている時の方が、私にはなんとなく高圧的に見える。
けれど、旧仮名で「しませう」と書いてあるのを見ると、なんとなくゾワゾワして気持ち悪い。戦時中の標語みたいで嫌いだ、と思う。けれど、そこだけ「しましょう」と新仮名で書くわけにもいかないので、「しませう」とする。ゾワゾワしながら、する。
あと、これは仮名遣いではないが、「~している(してゐる)」を「~してる」と書くような「い抜き(ゐ抜き)」言葉がとても苦手だ。口語的表現として云々というレベルの話では全くない。単純に、「い」が無くなっただけで急激にどっしりと存在感を増す「る」のふてぶてしさに耐え切れず、嫌悪すら感じるのである。数字でも「3」とか「6」とかをあまり好きになれないので、多分この感覚は一生抜けないと思う。

どちらの仮名遣いも、結局はこの世界の決まり事であって、所詮私は一使用者に過ぎない。
けれども、仮名遣いを「使用している」という感覚も、半分当たっていて半分外れているような気がする。
少なくとも、私は歌を作る時、旧仮名という出力を前提として歌を作っている。大袈裟に言えば、旧仮名を通じて世界と、そして定型と向き合った結果が、歌に表された言葉であり、認識なのだろう。
それに、そもそも言葉によって認識が顕ち上がる場合と、感覚的な認識を言語という形式に合わせている場合とが両極にあって、そのあいだを表現行為がふらふらと漂っている、という実感もある。

最近、手書きでちまちまと日記をつけているのだが、たまに間違えて文の途中から旧仮名になりかけることがある。
勿論、日記のような散文は普段から新仮名で書いているわけだが、こういうズレが起きるのは、やはり手書き特有の現象だろうか。歌のメモや毎月の詠草を手書きで書いているから、旧仮名の感覚が筆記行為それ自体にしみついているのかもしれない。
少なくとも今のところ、キーボードで打ち込んでいて急に旧仮名遣いになったことはない。
2021/01/24

坂田博義を探して(5)

ここ数年、いろいろと気忙しいことが続いて、坂田博義からすっかり心が離れてしまっていた。数年前に引っ越しをして以来、コピーした資料の多くは段ボールに入れたままになっていた。
未整理の荷物と蔵書に囲まれた万年床で数年間生活していたが、こんな環境ではやはり気を病むばかりで、ようやく重い腰を上げて片づけに取り掛かった。それがこの年末年始のことである。
数年前に留めたホチキスの針は紙の表面に錆をうつして朽ちていた。それでも久しぶりで坂田博義の歌を眺めているうちに、放り出したままになっていた探究心が少しずつ戻ってきたような気がした。

6年前に「坂田博義ノート」(「立命短歌」第3号、2015年)という評論を書いた。その際、資料として「塔」のバックナンバーを、御所の南側にある塔の事務所でたくさんコピーさせてもらった。この記事を書きながら参照しているのも、その時のコピーを発掘したものである。
だが、「塔」に書かれた坂田の歌と文章全てを抜き出せたわけではない。
例えば、「頌『仰臥漫録』」(「塔」1961年4月号)という文章がある。これは高安国世(「坂田博義を悼む」「塔」1962年2・3月号)や小野茂樹(「修羅のわかれ――坂田博義君のこと」角川「短歌」1961年1月号)による追悼文でも言及されているもので、コピー忘れに気づいた時には愕然とした。
およそ記事のリストを作らずに、パラパラめくっては見つけたものをコピーする、というゆるいやり方で臨んだため、漏れが出たのだろう。他にも作品評やいくつかの埋め草記事が抜き出せていない。
「塔」は東京だと日本近代文学館に所蔵がある(国会図書館には90年代以降のものしか揃っていない)。京都にいるうちに気づいていれば、と今更のように悔いる。

同じことは「ポトナム」のバックナンバーについても言える。勿論、坂田の在籍当時の「ポトナム」は昨日書いたように国会図書館でも見ることができるが、母校・立命館大学にも「ポトナム」は創刊号からほぼ揃っているのである。戦後の「くさふぢ」時代のものまである。
そりゃそうだ。「ポトナム」を創刊した小泉苳三は立命館の文学部を作った張本人なのだ。現代表の中西健治氏も立命館の日本文学の先生だった方で、「立命短歌」復活時には顧問をお願いしていた。
それにしても、卒業してもキャンパスから徒歩5分くらいのところに住んでいたし、図書館のカードも毎年更新していたので、閲覧しようと思えばできたのに……、と今更のように思う。
それに、これは坂田とは関係ないが、例えば「ポトナム」時代の森岡貞香の初期作品なども、当時の誌面や合同歌集から見ることが可能だったはずだ。もうすぐ新しく『森岡貞香全歌集』が出ると聞いたが、さすがに『白蛾』以前は入集させていないだろう。
アクセシビリティがあったところで、活用する意志がない時には何の意味も為さないという、当たり前の事実を思う。
ちなみに、現在の立命館大学衣笠キャンパスの図書館には、館内利用ではあるが開架で『坂田博義歌集』が並んでいる。末川文庫の一冊、つまり末川博の旧蔵書である(あの図書館はたまにとんでもないものを開架に置いている。2階の吹き抜けの窓際で塚本邦雄『装飾樂句』を見つけた時は変な汗が出たものだ)。

残る「辛夷」に関しては、これはもう北海道に頼るしかない。当時のものは国会図書館にも、日本近代文学館にも、岩手の日本現代詩歌文学館にも所蔵が無い。
北海道立図書館の蔵書を調べたところ、ちょうど坂田が出詠し始めた頃に数号の欠落があった。惜しい。
帯広の結社なので、郷土資料枠で置いていないかしらと、帯広市図書館を検索したところ、揃っていた。レファレンスをお願いするのが順当だろうが、いつか実物をこの目で見てみたいという思いもある。

そういえば、野原水嶺の「辛夷」も、その師である小田観螢の「新墾」も、元をたどると太田水穂の「潮音」に行き着くグループである。
「辛夷」や「新墾」と聞けば、中城ふみ子を思い出す人も多いだろう。そして、ふみ子の生きた昭和20年代の「新墾」や「潮音」では、菱川善夫もまた歌を作っていた。
この辺、深く掘り下げてみると面白いかもしれない。前衛短歌を語りつつ取りこぼしてきたあれこれについて、鍵になるものがありそうな気がする。